りゅーの備忘録

ゲームの報告だったり日記的なものだったり。

3月7日(月)

自分はなにか用事がある日でも基本的に間に合うギリギリまで寝たい人である。それは仕事の日も例外ではなく、仕事の日の朝は7:30に起きて歯磨き、着替えを済ませて7:45~7:50に家を出る。

 

3月6日の夜、社会人のフォロワーと通話をして「明日仕事だるいね〜」と言い合ってから通話を切って寝た。その時はまだ明日仕事だるいなあとしか思ってなかった。

 

3月7日。いつも通りスマホiPadの目覚ましで起きて準備をしていた時に母親からLINEがあった。

母親「大急ぎで連絡して」

そのLINEが来たのは家を出るほんの数分前。連絡してる暇はないから電話は出来ないと言った。そしたら以下のLINEが返ってきた。

f:id:hcxx:20220725110646j:image

1分ほど思考停止してやっとえ?と返しそのタイミングで母親からの電話。

母親「いつも通り起こしても全く起きないから布団をはいだらもう冷たくなっていた。」

率直な感想としては冗談でしょ、そんな急にしぬことある?っていう感じ。

母親から仕事休んで一旦福岡に帰ってきなさい。と言われたのでとりあえず派遣先の課長と派遣先にいる同じ会社の先輩、営業担当の人に電話をして数日間休むという旨を伝えた。

 

実家に帰るのは1年半ぶりくらいで、GWにも帰る予定があったのもあり、まさかこんな形で帰省するとは思ってもいなかった。そもそも母親からLINEきてから実家に着くまで父親を亡くしたという実感があまりなく、そのせいか新幹線の中で寝たりした。実感がないとはいえ事実ではあるのだろうから考えたくなかったのかもしれない。

 

地元の最寄り駅に着いたのは14:00くらい。駅には母方の叔父が車で迎えに来てくれてたのでそのまま実家に。叔父から死因は心筋梗塞だということ、母親に1番近いのは自分だからしっかりしろよ、などいわれた。

実家のリビングには母親と父方の叔母夫婦がいた。そして父親の寝室にはテレワークで使用していたPCと父親の遺体。布団によって父親の遺体が隠されていたので、少しだけ布団をはいで父親の顔を見た。半目を開き、少しだけ掻きむしった跡がある父親の顔。心臓が止まって時間が経っていたからか、下の方に血が溜まって肌が紫色にむしろ上の方は青白くなっていた。警察が来たと叔父から聞いていたから、血色はともかく、おそらく元々の表情はもっと凄かったのだろうとおもった。普段音楽や動画を垂れ流しながら過ごしているので余計にそう感じたのかもしれないが、父親の部屋だけ時が止まってるかのような静けさだった。

 

実家に着いてすぐに葬儀屋の人が来ていつお通夜を行って、いつ葬儀を行って、火葬場はどこにするかなどを決めた。葬儀屋の人が仏壇などがある和室に遺体を運んでくれた。葬儀屋の人が帰って、叔母夫婦も帰った頃、叔父が多分この感じはろくにご飯を食べないだろうと察してうどん屋でうどんをテイクアウトしてくれた。一応お腹自体は空いていたためすぐ食べた。おいしかった。

叔父が帰ってすぐ母親と話し、家族3人で家で過ごす最後の夜だからお互い部屋で寝ずみんなでリビングで寝ようということになった。まあ元々母親はリビングで布団敷いて寝てる人だったけど。

 

日付が変わる少し前、母親が昨日(3月6日)のことを話してくれた。3月6日は大分県中津市の方に父親と母親の2人でドライブに行き、帰りに道の駅に寄っていた。そしていつも通りのご飯を済ませ、いつも通り入浴を済ませてしばらくした23:00頃、父親がリビングで寝ていたので母親が起こしてベッドに向かわせたらしい。その時に話した最後の会話である「おやすみ」が最後に聞いた声。月曜の朝になった時には冷たくなっていて、すぐに救急車と警察と自分に連絡をしたらしい。

そして1年半帰ってない間に、父親は多血症を発症して病院に血を抜きに行っていたこと、毎日のようにカップラーメンを食べていたせいで健康診断で体がボロボロになっていることがわかったこと、その対策として野菜を沢山食べるようにしていたこと、そのおかげで最近ようやく諸々の数値が落ち着いていたことを知った。ようやく健康になりつつあるし、今年58歳でそろそろ定年でもあるから母親なりに定年後にちょっとした旅行にも行きたいと予定を立てていたのに、こんな急にいなくなるとは思わなかった。と言っていた。

元々父親は仕事人間で母親も自分が中2の時に多発性硬化症を発症して入院していたとはいえ働いていることが多かった関係で、家族3人で旅行とか記憶のある限りでほとんどなかったから余計行きたかったのだろうなと思った。

この話をしている間、実家の猫は父親の遺体に対して腰が引けながらも近づこうとしていた。でも最後まで近づくことはなかった。

 

この一年半何があったかを教えてくれて以降はその日はお互い疲れていたのもありあまり会話もなく適当なタイミングでお互いにリビングで雑魚寝した。

 

酒が入ってないときは優しく、なんだかんだ物知りで、酒が入った時はダル絡みひどくてあまり好きではなかったけど、大学時代は出張で沖縄に来たときに夜ご飯をおごってくれたりして一緒に酒を飲んだ父親。

普段何か用事がなければ全く連絡とらないのに2月の頭くらいに電話をしてきて、「突然すまんな、声が聞きたくなったから電話かけた」といわれた。珍しいなと思いながらも1時間雑談して「何か困ったことがあればいつでも連絡しろよ、父さんはいつでもお前の味方だからな」と電話した際のいつもの文言を言って電話は終わったが、まさかあれが最後の会話になるとは思っていなかった。去年の年末に帰省しなかったことは人生トップクラスの後悔になると思う。

 

父親がいなくなってもうすぐ5ヵ月。自分が想定していたよりもはるかに精神的ダメージは大きい。